「なでしこ」が行なった行為が、
中国で「論争」を繰り広げているようです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070922-00000091-sph-soci このニュースを見て思うのは、中国における「公論形成」。
このように議論が起ることが、
将来中国で"liberal democracy"が実現するために、
とても重要なことなのではないでしょうか。
上のニュースで特に評価できる意見が、
>こうした中で20日付の週刊紙「国際先駆導報」は、日中の歴史問題の重要性を認めつつも「中国には未来志向で健康的な大国意識が必要」と強調
というもの。
中国では以前に比べて政府批判なども行ないやすくなったと聞きますが、
反日デモの頃にあったような、「愛国無罪」の立場からの政府批判ができるだけではなく、
このような意見が堂々と言えるようになったのは画期的なことかと思われます。
逆に、
>「過去の侵略を認めない日本の宣伝活動に感動するなど中国の恥だ」
という意見もあり、
日本についての誤解や偏見が未だに存在しているのも事実です。
とはいえ、
こういう形で日本人が中国人に歩み寄ることで、
少しずつではありますが、中国人が日本人に歩み寄るわけです。
中国人の対日感情が「良い」と「悪い」でどちらが良いか、
といったら、
「良い」の方が(両国にとって)良いと、少なくとも私は考えています。
なでしこの行為は、日中双方にとって好ましいものなのではないでしょうか。
この論争に関するブログ等を見てみると、
なでしこを賞賛する内容のものが多いですが、
中国を叩いているような内容のものも多いようです。
たしかに、
中国や中国人の行為には非難されるべきものも多いですが、
では、非難したら改善されるのか、
とりわけ「日本人が」非難したら改善されるのか、
というのを考えた上で非難しているのでしょうか。
非難は目的ではなく、改善のための手段であるべきだと思います。
日本の世論を中国非難で染め上げることが、
中国の状況改善(それは日本にとっても利)に繋がるとは思えません。
非難すべき点を非難するのは悪いことではありませんが、
それならば、「どうすれば改善されるか」を考えませんか?
今すぐに改善される兆しが見えないからといって、
「中国には期待できない」と突き放すよりも、
数十年後の良い結果を考えた方が楽しくありませんか?
状況が変わるには時間がかかるのです。
非難と呼べるようなものではない、
中国に対する「悪口」を言っている人もいるようです。
中国をただただ口汚い言葉で叩いているだけでは、
日本にブーイングしている中国人と同じだとは思いませんか?
それがサッカースタジアムなのかインターネット上なのかの違いだけではありませんか。
さて、
なでしこがスポーツの舞台で行なったことが、
このような結果をもたらしている、ということから、
北京オリンピックについても考えるべきでしょう。
中国ではマナー改善を考える動きも盛んになるでしょうが、
それでも(とりわけ日本に対して)悪いマナーをとる観客も多いでしょう。
しかし、それは、中国にとっても、日本にとっても、
逆にチャンスではないか、と考えることが出来ます。
北京オリンピックには世界中から人が集まるでしょう。
世界中で報道されるでしょう。
その報道の様子を中国人も知ることでしょう。
中国人が世界を知るチャンスであり、
中国人が自分たちを見直すチャンスなのです。
中国人の対日感情が和らぐチャンスかもしれません。
北京オリンピックをボイコットせよという意見もあるようですが、
北京オリンピックは、うまくいけば、
中国が「未来志向で健康的な大国意識」を持つチャンス、
対日感情が改善されるチャンスだと思うのです。
逆に、このチャンスを逃すようだと、将来は暗いものかもしれません。
明るい要素もあります。
なでしこの行為についての議論が起こっているこのタイミングに、
相対的に親中派である福田氏が首相になることは、
議論に悪い影響をもたらさない、という意味で(この件については)良いことではないかと思います。
逆に「タカ派」と見られている首相が誕生していたら、
「なでしこを賞賛するのは漢奸だ」という側の世論が優勢になる可能性が強まるでしょう。
もちろん、ここで一時期日中関係が良好になったとしても、
ずっとそのままうまくいく、というわけにはいかないでしょう。
互いのナショナリズムを刺激し合ってしまうような事態もあるかもしれません。
北京オリンピックが、却って状況を悪くする可能性もあります。
しかし、今、中国が「公論形成」へ向けて一歩進んだのは事実だと思います。
日本人もぜひ、中国よりも先に公論形成を達成した国の国民として、
恥ずかしくないように振る舞いたいものです。
日本という国が好きならば、
幕末以降公論形成のために努力してきた先人たちに対して恥ずかしくないように生きていきたいものです。